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函館地方裁判所 昭和55年(行ウ)1号 判決

原告 川原一朗

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 小谷欣一

同 中山博之

被告 函館税務署長内田敏夫

右指定代理人 金田茂

〈ほか六名〉

主文

被告が原告らに対して昭和五五年五月一三日付納付通知書をもってした合名会社函館発動機製作所の滞納法人税につき原告らを第二次納税義務者とする納付告知処分はいずれも無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

主文と同旨

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、原告らに対し、昭和五五年五月一三日付納付通知書をもって、訴外合名会社函館発動機製作所(以下、訴外会社という。)の滞納法人税三七五万八六一六円を納付すべき旨の第二次納税義務告知処分(以下、本件告知処分という。)をした。

2  しかしながら、原告らはかつて訴外会社の社員たる地位を有したことはなく、したがって、同社の第二次納税義務を負担すべき者ではない。そのことは次の事情からも明らかである。

(一) 被告が原告らを第二次納税義務者と認定するにあたり基礎資料とした訴外会社の商業登記簿には原告らは社員として登記されていない。もっとも、同社の社員として「川原一郎」及び「川原孝」なる者の記載がされているが、原告らの氏名は「川原一朗」及び「川原コウ」であり、右商業登記簿に記載された氏名とは同一性を有しない。

訴外会社は、昭和三〇年一〇月一八日、高屋文吉が自己を社員兼代表社員として設立したものであるが、同人は、設立に際し、形式上一定の社員数を揃えようとし、自己の長男である高屋文雄を社員とした他、登記簿上、自己の長女である原告川原コウ(以下、原告コウという。)及びその夫である原告川原一朗(以下、原告一朗という。)の氏名とまぎらわしい「川原孝」及び「川原一郎」なる架空の人物をそれぞれ社員として設立したのである。右設立にあたり「川原一郎」は英式旋盤及びボール盤を現物出資したとされているが、真実は高屋文吉が昭和二七年九月一一日に購入した右機械を自分で現物出資したものである。

仮に、原告らが、訴外会社の設立の際に同社の社員になることを同意したり、社員として名義を貸したのであれば、右のようにその名をまちがって登記される筈もないのである。

原告らは、早くとも昭和五二年頃までは、高屋文吉及び高屋文雄らが経営する会社を訴外会社の前身である高屋鉄工所という名で呼んでいたことからわかるように、訴外会社が設立されたこと及び「川原一郎」「川原孝」が社員として登記されたことを知らなかった。

(二) 原告らは、実際に訴外会社の経営に参加したことはなく、また、訴外会社から、社員であること、経営に参加したこと及び名義を貸したこと等に関して報酬、利益、名義料等いかなる名目の金銭も受け取ったことはない。

(三) 昭和四七年八月一三日、訴外会社代表社員高屋文吉が死亡したため、同社の代表社員が高屋文雄に変更され、その旨の登記もなされたが、右代表社員の変更については総社員の同意が必要であるにもかかわらず、右変更及びその登記手続について原告らは同意を求められたことはなく、右変更及びその登記は原告らにまったくかかわりあいのないまま行われたものである。このことは訴外会社の設立以来の社員である高屋文雄自身原告らを同社の社員として意識したことがなかったという事実の端的な証拠である。

(四) 右のとおり昭和四七年八月に高屋文雄が訴外会社の代表社員となったが、同人は耳が不自由であったため、昭和四九年一月から、同人の妻であり原告一朗の妹である高屋慶子が同社を実質上運営するようになったところ、高屋慶子は、昭和四九年ころ、訴外会社の定款を見てはじめて「川原一郎」及び「川原孝」なる者が同社の社員となっていることを知ったが、右は高屋文吉が同社の設立にあたり原告らの氏名を勝手に使用したものと理解していた。その後、昭和五三年八月一三日、同女が原告コウに対し同社のために名義を貸すなどしたことがあるかと尋ねたところ、原告コウから全然知らない旨の返答を受けたため、高屋慶子は、原告らは同社の社員ではない旨の認識を確固たるものとし、同年一一月ころに原告一朗から原告らの氏名を無断で使用しているのではないかと追及された際も、同社と原告らは関係がないと答えていた。

(五) 一方、原告一朗は、訴外会社の社員として無断で自己の氏名を使用されているらしいと知り、昭和五三年一一月ころ、高屋慶子を追及した結果、訴外会社の商業登記簿に社員として松前郡松前町字松城を住所とする「川原一郎」及び「川原孝」の記載がなされていることを知ったが、高屋慶子から、名も違っているし、高屋文吉が勝手につけた社員名であるから、原告らは同社とは関係ない旨の説明を受けたので、原告一朗も同社に関して自分らが責任を負うことはないと思った。

しかし、原告一朗は法的に絶対大丈夫かどうか心配になり、函館市内の田村秀夫税理士に相談のうえ、同税理士の紹介により同年一一月末ころ同市内の扇谷俊雄弁護士に事情を説明して相談したところ、同弁護士から、原告らとしては社員義務不存在確認及び社員登記抹消登記手続請求訴訟によって解決したほうがよいとの説明を受けたため、原告一朗は同弁護士に右訴訟提起を委任した。

ところが、原告一朗は、同人及び高屋慶子の母親から訴訟で争うような兄弟喧嘩をしないでほしいと頼まれ、また、高屋慶子が原告らに対し訴外会社の登記簿から「川原一郎」及び「川原孝」の氏名の各記載を抹消し、同社の責任は高屋慶子及び高屋文雄が負って原告らには一切迷惑をかけない旨誓ったことから、原告一朗は、同年一二月二二日、扇谷弁護士のもとを訪れ、前記の依頼を取り消した。

そして、高屋慶子は、原告一朗との約束に従い、昭和五四年二月ころ息才司法書士に右社員登記の抹消登記手続を依頼したが、同司法書士が長期間処理しないままでいたため、さらに乗田徳一司法書士に右手続の依頼をしたところ、同司法書士は退社登記手続をすれば何も問題は生じないと説明したので、高屋慶子は同司法書士に「川原一郎」らの退社登記手続を依頼し、同年八月一八日、その旨の登記がなされた。このとき提出された合名会社変更登記申請書には、高屋文雄、高屋慶子、「川原一郎」及び「川原孝」作成名義の同意書が添付されているが、原告らは、そこに記載された事実についてはまったく関知せず、同書面に署名または押印したこともない。また、同書面に顕出された印影も原告らの印鑑によるものとはまったく異なるものである。

(六) 訴外会社は昭和五四年九月二七日に事実上の倒産をしたが、原告らは後になってこの事実を知ったものであり、同社に滞納税金があること及び原告らが第二次納税義務者とされていることを知ったのは昭和五四年一二月末に被告から第二次納税義務予告通知書の送達を受けたときである。

また、訴外会社の債権者は被告以外にも多く存在するものと思われるが、今日まで他の債権者から取立を強要されたり裁判を起こされたことはない。

3  以上のように、本件告知処分は、原告らを訴外会社の社員であると誤認し、第二次納税義務を負うはずのない原告らに対してなされた処分であるという点において、課税要件の根幹についての重大な過誤をおかした瑕疵を有するところ、前記のとおり、原告らは高屋文吉によってまぎらわしい「川原一郎」「川原孝」なる氏名を無断で使われたのみで本件告知処分の基礎資料となった訴外会社の商業登記簿の右各氏名の者を社員とする記載の現出についてはまったく関係がないうえ、原告らは、原告らの氏名と外観上まぎらわしい社員登記がなされていることを知るや、ただちに高屋慶子に対し右登記の抹消を求め、あるいは弁護士に社員登記抹消登記手続請求等の訴訟提起を依頼するなど右登記について是正措置をとろうとしてきたのであるから、原告らにおいて右登記の存在を明示的あるいは黙示的に容認したかまたはこれを放置していたことはなく、また、原告らが右登記の存在により表見的に同社の社員であったことに基づいて特別の利益を受けた等の特別の事情も存しない。

したがって、本件告知処分は、当然無効である。

4  仮に、本件告知処分が当然無効であるためには、重大かつ明白な瑕疵のあることを要するとしても、右処分には、前記社員でない原告らを社員として課税した重大な瑕疵があるうえ、次のとおり明白な瑕疵もあるというべきである。

被告としては、同社の商業登記簿上の社員名と原告らの氏名とが一見して明白に異なるのであるから、原告らが同社の社員として第二次納税義務を負担すべき者であるかどうかについて、当然疑問を持ち、右疑問を解消するため原告らや高屋慶子以外の社員等からも事情を聴取するなどして調査する義務があり、かつ、右調査はごく簡単にできたのにもかかわらず、被告はこれを怠り、高屋慶子に対してきわめて不十分な事情聴取をしたのみで、原告らを右登記上の社員と同一であると信じ込んで本件告知処分を行ったものである。

これに反し、被告が右に述べた調査を行えばとうてい右誤りをおかさなかったであろうと考えられるのであって、このような場合、本件告知処分には明白な瑕疵あるものというべきである。

したがって、本件告知処分は当然無効である。

5  よって、原告らは本件告知処分の無効であることの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2冒頭の事実は否認する。

同2(一)のうち、訴外会社が昭和三〇年一〇月一八日高屋文吉によって設立された合名会社であり、その商業登記簿に原告主張の者が社員として登記されていること、原告ら及び高屋文吉らがその主張のとおりの身分関係にあることは認め、その余の事実は否認する。

同2(二)の事実は否認する。

同2(三)のうち、訴外会社の代表社員が高屋文吉の死亡により高屋文雄に変更されてその旨の登記がなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同2(四)のうち、昭和四七年八月に高屋文雄が訴外会社の代表社員となったこと、高屋慶子が高屋文雄の妻であり、原告一朗の妹であることは認め、高屋文雄は耳が不自由であったことは知らない。その余の事実は否認する。

同2(五)のうち、原告一朗が昭和五三年一一月末ころ扇谷弁護士に本件について相談したこと、昭和五四年八月一八日に「川原一郎」及び「川原孝」について退社登記がされたこと、このとき提出された合名会社変更登記申請書には、高屋文雄、高屋慶子、「川原一郎」及び「川原孝」作成名義の同意書が添付されていることは認めるが、原告一朗が昭和五三年一一月ころ訴外会社の商業登記簿に「川原一郎」らの社員登記がなされているのを知ったこと、そのとき原告一朗が高屋慶子から、名も違っているし、高屋文吉が勝手につけた社員名であるから、原告らは同社とは関係ない旨の説明を受けたので、同社に関して自分らが責任を負うことはないと思ったこと及び原告一朗が法的に絶対大丈夫か心配になって扇谷弁護士に相談したことはいずれも否認する。

原告一朗が右の相談に赴いたのは訴外会社の債権者から責任を追及されていたからである。その余の事実は知らない。

同2(六)のうち、訴外会社が昭和五四年九月二七日に事実上倒産したこと及び被告が原告らに対し第二次納税義務予告通知書を送達した(ただし、送達した日は昭和五四年一二月一二日である。)ことは認め、原告らが訴外会社の債権者から同社の社員であることを理由に責任を追及されたことがないことは否認する。その余の事実は知らない。

3  同3の事実は否認する。

本件告知処分が当然無効であるというためには、右処分に重大かつ明白な瑕疵がなければならない。

4  同4のうち、被告が高屋慶子から事情聴取をしたこと及び原告らが訴外会社の商業登記簿上の社員と同一であると信じて本件告知処分を行ったことは認め、その余の事実は否認する。

仮に本件告知処分に社員でない原告らを社員として課税した瑕疵が存するとしても、右の瑕疵が明白であるというのは「処分成立の当初から、誤認であることが外形上、客観的に明白である場合を指す」ものと解すべきところ、被告は本件告知処分当時、訴外会社の商業登記簿の原告らの社員登記が不実の登記であることを知らなかったものであり、右商業登記簿の「川原一郎」及び「川原孝」の記載と原告らの氏名とは一部くい違いがあるものの、右登記にかかる社員の住所と原告らの住所を含めて考察すれば「川原一郎」及び「川原孝」が原告らであることは登記簿の記載からでも明白であること、さらに函館税務署徴収職員鍜治繁が昭和五四年三月二二日に高屋慶子に面接調査し、同女の供述によって原告らが同社の社員であることを確認し、処分に至る前に十分な調査活動を行っていた等の前記の事情のもとにおいては、本件告知処分に外形上、客観的に明白な瑕疵があったとは到底いうことはできない。

三  被告の主張

1(一)  訴外会社は、昭和五四年二月二八日、被告に対し、昭和五三年一月一日から同年一二月三一日までを事業年度とする法人税(以下、昭和五三年度法人税という。)の確定申告書を提出し、その結果、本税九三三万九二〇〇円、法定納期限を昭和五四年二月二八日とする昭和五三年度法人税額が確定した。

(二) ところが、訴外会社は、昭和五三年度法人税について昭和五四年九月三日に四〇〇万円を納付したが、その余を完納しないまま同月二七日手形不渡りを出し、その結果同日銀行取引停止処分を受け、さらに同月二八日訴外会社代表社員高屋文雄が家族を伴って所在不明となったため、同社は事実上倒産した。

(三) そこで、被告は、訴外会社の昭和五三年度法人税債権を確保するため、同社の財産状況を調査したところ、同社は左記財産を有するにすぎなかった。

(1) 道南機械工業協同組合出資持分 一〇万円

(2) 協同組合函館ドック生産協力会出

資持分 一三万円

(3) 函館商工信用組合十字街支店別段

預金 二万七八二〇円

(4) 函館商工信用組合出資持分 三〇万円

合計 五五万七八二〇円

(四) 本件告知処分当時における訴外会社の滞納税額は、本税三七五万八六一六円、延滞税一一三万九六〇〇円の合計四八九万八二一六円であった。

したがって、訴外会社の前記財産について滞納処分を執行してもなお徴収すべき額に不足が生ずることが認められた。

2  原告らは、訴外会社の昭和五三年度法人税の納税義務が成立した昭和五三年一二月三一日(国税通則法一五条二項三号)当時の社員であり、合名会社の社員として同社の第二次納税義務を負う者である。そのことは、以下の事実により明らかである。

(一)(1) 訴外会社の商業登記簿によれば、右昭和五三年一二月三一日当時の同社の社員は高屋文雄、高屋慶子及び原告らの四名であった。

(2) 原告らは、商業登記簿に記載された「川原一郎」及び「川原孝」の表示が原告らの戸籍上の氏名と異なることをもってその別人性を主張するが、

(イ) 原告らの住所地であり、かつ右「川原一郎」及び「川原孝」の住所地である松前郡松前町字松城には「川原イチロウ」及び「川原コウ」という呼名の者は訴外会社が設立された当時から現在に至るまで原告らのほかには居住していないこと

(ロ) 原告一朗が自己の経営する合名会社川原商店(本店松前郡松前町字松城、以下、川原商店という。)について被告に提出した昭和五三年度法人税の確定申告書には同原告の氏名として「川原一郎」と記載され、また、同原告が被告に申告した自己の昭和五〇年分所得税の確定申告書及び同五四年分の所得税の損失申告書中にも原告一朗の表示として「川原一郎」の記載があること

(ハ) 原告コウがなした原告らの長女川原衣美子の出生届の筆頭者の氏名欄等にも原告一朗の表示として「川原一郎」と記載されていること

(ニ) 原告らが函館税務署に持参提出した後記「念書」には、原告コウの表示として「川原孝」と記載されていること

(ホ) 原告らは昭和五四年一二月一二日送達された「川原一郎」及び「川原孝」宛ての第二次納税義務予告通知書を氏名の相違について異議を唱えずに受領したこと

によれば、「川原一郎」とは原告一朗の、「川原孝」とは原告コウの通称にすぎず、その同一人性は明らかである。

(3) 原告らは、訴外会社の設立に際し、同社の社員になることを承諾したことはない旨主張するが、同社が合名会社という家族団体的企業形態であり、しかもその社員を親密な身分関係のある者で固め、高屋文吉が原告らの父親ないし義父であることからすれば、原告らが高屋文吉の求めに応じて同社の社員となったことは自然のなりゆきであり、仮に原告らが同社の設立登記に直接関与したものでないとしても、原告らの承諾のもとに高屋文吉が手続一切をなし、その結果原告らの社員登記がなされたと推認するのが相当である。

(二) 函館税務署徴収職員鍜治繁が昭和五四年三月二二日に高屋慶子から訴外会社の概況について事情聴取をした際、同女は、同社の社員は高屋文雄、同女及び原告らの四名であると述べている。

(三) 昭和五四年八月一五日、原告一朗はその持分全部を高屋慶子に、原告コウはその持分全部を高屋文雄にそれぞれ譲渡して訴外会社を退社し、同月一八日その旨の登記を経由しているが、これは原告らが同月一五日まで同社の社員であったことを前提としたものである。

(四) また、原告一朗が函館税務署徴収職員に提出した念書によれば、原告らは、昭和五四年八月一五日、高屋文雄及び高屋慶子に対して訴外会社を退社する旨の意思表示をなし、右両名がこれを承諾しているが、これも原告らが同日まで同社の社員であったことを前提としたものである。

以上のとおり、被告は、訴外会社の滞納国税徴収のため、同社の財産について滞納処分を執行してもなお徴収すべき額に不足を生ずることが認められたので、国税徴収法三三条に基づき同社の社員であった原告らに対し同社を退社してから二年以内(商法九三条)である昭和五五年五月一三日に第二次納税義務を告知したものであって、本件告知処分には何らの違法も存しない。

3  仮に、原告らが訴外会社の社員であったことはなく、原告らの社員登記が不実な登記であるとしても、少なくとも原告らは昭和五三年九月ころ原告らが訴外会社の社員として登記されている事実を知ったものであるから、その是正措置をとることなくこれを放置していた原告らは、商法一四条の類推適用により、善意の第三者である被告に対して右登記の不実なることを対抗しえないものである。

四  被告の主張に対する認否及び反論

1  被告の主張1(一)の事実は知らない。

同1(二)のうち、訴外会社に滞納の法人税があること及び同社が事実上倒産したことは認め、その余の事実は知らない。

同1(三)及び(四)の各事実は知らない。

2  同2の冒頭の事実は否認する。

同2(一)(1)のうち、昭和五三年一二月三一日当時高屋文雄及び高屋慶子が訴外会社の社員であったことは認め、原告らが社員であったことは否認する。同2(一)(2)のうち、(イ)ないし(ニ)の事実及び(ホ)のうち、昭和五四年一二月一二日、「川原一郎」及び「川原孝」宛ての第二次納税義務予告通知書が原告らに送達された事実は認め、(ホ)のその余の事実及び「川原一郎」が原告一朗の、「川原孝」が原告コウの通称であり、同一人を指すことは否認する。同2(一)(3)のうち、高屋文吉が原告らの父親ないし義父であることは認め、その余の事実は否認する。

同2(二)のうち、函館税務署徴収職員鍜治繁が昭和五四年三月二二日に高屋慶子から訴外会社の概況について事情聴取したことは認め、その余の事実は否認する。

同2(三)の事実は否認する。原告一朗らが同社を退社した事実はなく、原告らについて退社登記もなされていない。同月一八日「川原一郎」及び「川原孝」について退社登記がなされた経緯は既に主張したとおりである。

同2(四)のうち、原告一朗が、函館税務署徴収職員に念書を提出したことは認め、その余の事実は否認する。原告らは高屋慶子らに対し訴外会社を退社する旨の意思表示をしたことはない。

3  同3の事実は否認する。原告らが既に主張しているように、原告らは、訴外会社の商業登記簿に原告らの氏名とまぎらわしい「川原一郎」及び「川原孝」の記載がなされていることを知るや、直ちにその是正措置をとろうとしたものである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実(被告が原告らに対しその主張のとおりの第二次納税義務告知処分をしたこと)は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、被告は、昭和五三年度法人税を滞納した訴外会社の財産につき、その滞納処分を執行してもなお徴収すべき額に不足が生ずるものと認められたため、原告らを右法人税債権の成立した昭和五三年一二月三一日当時の合名会社である同社の社員として第二次納税義務を負うと認定し本件告知処分をしたことが認められ、この認定を左右する証拠はない。

二  原告らは、本件告知処分には原告らを訴外会社の社員と誤認した瑕疵がある旨の主張をするので、以下、この点について検討する。

《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告両名と高屋文吉らとの関係及び訴外会社の概要

(一)  原告一朗は、昭和二五年ころから松前郡松前町字松城の店舗兼居宅において合名会社川原商店を経営して金物商を営んでおり、昭和二六年五月二五日、高屋文吉の長女である原告コウと婚姻している。高屋文雄は原告コウの兄(高屋文吉の長男)であり、原告一朗の妹の高屋慶子の夫である。

(二)  訴外会社は、内燃機関や一般諸機械の製作と修理を主たる事業目的として昭和三〇年一〇月一八日に設立され、本店を函館市入舟町一一番一九号に置く合名会社である。同社は、昭和五一年ころから売上げ不振であったうえ、取引先の倒産により多額の回収不能債権を生じたことなどにより経営が悪化し、昭和五四年一〇月一日、銀行取引停止処分を受けて倒産した。

2  訴外会社が設立された経過

(一)  訴外会社は、もと高屋文吉が個人経営していた高屋鉄工所を前身とし、同人が設立した会社であるが、同社の商業登記簿には、設立時に同人(兼代表社員)、高屋文雄、松前郡松前町字松城の「川原一郎」及び同所の「川原孝」がそれぞれ出資して社員となった旨登記されている。

ところで、松前郡松前町字松城には、訴外会社の設立された当時から本件告知処分のなされた当時まで、「川原一郎」及び「川原孝」という者は居住していたことはなく、同所において「川原いちろう」及び「川原こう」という呼び名を有する者は原告らのみであった。

また、原告一朗は第三者によって「川原一郎」と誤って氏名を書かれたことが少なからずあり、原告コウが「川原孝」と表示されたこともあったが、原告らが自分で「川原一郎」または「川原孝」と名乗ったことはない。

(二)  右設立当時の登記には、高屋文吉が英式旋盤一台を現物出資したほか、高屋文雄が英式旋盤一台を、「川原一郎」が英式旋盤一台及びボール盤一台をそれぞれ現物出資した旨記載されているが、以上の機械は、いずれも、高屋文吉が高屋鉄工所を個人経営していた当時購入し、使用していたものを訴外会社の設立当時、そのまま同社の資産として提供したものである。

(三)  他方、原告らは、訴外会社の設立にあたり、同社に出資するなどして関与したことはないばかりでなく、後年まで同社が設立されたことも知らなかった。また、原告らは、昭和五二年ころまで同社の商号も知らず、同社をその前身である高屋鉄工所の名で呼んでいた。

3  訴外会社の設立後の状況及び原告らとの関係

(一)  高屋文吉は昭和四七年八月一三日に死亡したため、同月二七日、高屋文雄が代表社員に就任するとともに高屋慶子が入社し、同年九月四日、その旨変更の登記がなされた。右代表社員の変更及び高屋慶子の入社について原告らは同意を求められたこともなく、右登記についても原告らはまったく関与しなかった。

(二)  訴外会社はその設立以来高屋文吉によって経営され、高屋文雄はもっぱら一従業員として機械の製作修理の仕事を行っていた。右のとおり高屋文吉の死亡により高屋文雄が代表社員となったが、同人は難聴であったため、昭和四九年一月ころからは高屋慶子が同社の外交、修理等を担当するようになり、同社は、実質上同女によって運営されていた。

同女は、同年ころ、同社の定款を見て、「川原一郎」及び「川原孝」が同社の社員とされていることを知ったが、これによっても原告らが社員であるとは考えず、高屋文吉が勝手に原告らの名を利用したものと考えていた。

同社の設立当時から現在までの間に原告らが同社の経営に関与したことはないし、同社等からその社員であること、あるいはその社員として原告らの名義を貸したこと等を理由として配当、名義料等を受け取ったことはない。

(三)  原告一朗の経営する合名会社川原商店は、昭和四九年ころ訴外会社に石油購入のあっせんをし、昭和五二年ころ訴外会社から注文に応じ自社の仕入先から塗料を購入してこれを訴外会社に転売し、昭和五四年には同社にボルトなどを販売する取引関係を有し、また原告一朗個人は、昭和五一年一二月末に焼失した自己の店舗兼居宅の新築工事の一部(鉄骨組立工事)を訴外会社に請け負わせ、あるいは資金繰りに窮していた同社に対し、昭和五三年一二月中旬ころ、一〇〇〇万円を融資するなどの便宜を図ったことがあるが、これらはもっぱら原告らと高屋文雄、慶子夫妻との親族関係による情誼に基づくものであった。

4  「川原一郎」及び「川原孝」の退社登記手続がなされた経緯

(一)  原告一朗は、昭和五二年ころ、高屋慶子の娘の小松知代子から自分が訴外会社の社員とされているのではないかと聞かされたことがあり、さらに昭和五三年一一月ころ、高屋慶子から「川原一郎」及び「川原孝」が社員として登記されていることを確認したため、高屋慶子に対し原告らの氏名が無断で使われているのではないかと抗議したところ、同女は、高屋文吉が勝手にしたことであるうえ、名も異なるので、原告らは訴外会社と関係がない旨返答した。しかし、原告一朗は、訴外会社の債権者から同社の社員であることを理由に責任を追及されていたことから、同月末ころ、函館市内の扇谷俊雄弁護士のもとを訪れ、原告らが訴外会社の社員となることを承諾したり、関係書類に押印したこともないのに、同社の登記簿に社員として登記されており、そのため同社の債権者から責任を追及されて困っていると説明して、その対策について相談したところ、同弁護士は、原告一朗に対し、本件を解決するには原告らの社員義務不存在確認及び社員登記抹消登記手続請求訴訟によるしかないと説明したところ、原告一朗は同弁護士に対して右訴訟の提起を依頼した。

しかしながら、その後、高屋文雄及び高屋慶子が原告一朗に対し、訴外会社の債務の件で原告らに絶対に迷惑がかからないよう始末する旨誓約し、また、原告一朗が母親から兄弟同士で訴訟沙汰を起こさないでくれと懇願されたため、原告一朗は、同年一二月二二日、前記弁護士のもとを訪れ、前記訴訟提起の依頼を取り消した。

(二)  一方、高屋慶子は、「川原一郎」らの社員登記の抹消に関し、訴外会社の顧問税理士井口秀一から「抜けばよい。」と教えられたため、昭和五四年初めころ、息才司法書士に「川原一郎」及び「川原孝」の退社登記手続を依頼したが、同司法書士による処理が大幅に遅れたため、同女は同年七月初旬ころ乗田徳一司法書士に右手続を依頼した。そして、同年八月一七日ころ、高屋慶子は、自己及び高屋文雄の印鑑並びに「川原」名の印鑑二個を使用して、訴外会社代表社員高屋文雄作成名義の委任状及び「川原孝は高屋文雄に、川原一郎は高屋慶子にそれぞれ持分全部を譲渡して退社する」旨の高屋文雄、高屋慶子、「川原一郎」及び「川原孝」作成名義にかかる同月一五日付同意書を作成し、右司法書士は、同月一八日、右委任状及び同意書を添付して、社員「川原一郎」及び「川原孝」が同月一五日退社した旨の合名会社変更登記申請を行い、同日その旨の登記がなされた。

(三)  また、高屋文雄は、同年八月一五日ころ、川原一朗及び川原孝宛ての「右両名の脱会を承認するとともに昭和五四年八月一五日以前以後の訴外会社の負債一切は高屋文雄及び高屋慶子の両名が負うことを誓約する」旨の高屋文雄及び高屋慶子作成名義の念書を作成し、同念書は後日原告一朗のもとに届けられた。

5  本件告知処分のなされた経緯

(一)  前記のとおり訴外会社は経営悪化により負債が累積し、昭和五三年には同社の資金繰りは最悪の状態に陥っており、高屋慶子が精神的な疲労などにより同年一一月には入院するほどであった。しかし、同年一二月末に同社従業員の生命保険金として多額の金員が同社に支払われたため、昭和五三年度の経常損益は欠損であったが、右特別利益により同社に対し昭和五三年度法人税が課されることになった。

(二)  ところが、同社は右保険金を同社の負債整理に使用し右法人税を滞納したため、函館税務署国税徴収官鍜治繁は、昭和五四年三月二二日、高屋慶子と面接して同社の概況、滞納の原因及び納付の見通し等について聴取したが、その際、同女は訴外会社の社員は高屋文雄及び同女の夫婦と原告ら夫婦の四名であり、原告一朗は高屋慶子の兄、原告コウは高屋文雄の妹である旨答えた。

(二)  その後訴外会社は同年九月初めに右法人税の一部を納付したが、残額を滞納したまま倒産したため、被告は、同年一〇月一一日、一二日に同社の財産を差押えたところ、徴収不足になるおそれが生じたため、同社の社員に対し第二次納税義務告知処分をすることを検討し、同年一二月一〇日、主として同社の商業登記簿の記載に基づき、高屋文雄、高屋慶子、原告一朗、原告コウを第二次納税義務者と認め、同日、原告らに対し、その表示を「川原一郎」及び「川原孝」としたまま第二次納税義務予告通知書を発送し、これは同月一二日原告らに送達された。右に対し、原告らは何の応答もしなかった。

(四)  さらに、被告は、昭和五五年四月一四日、訴外会社の第二次納税義務者は前記四名であるかについて改めて検討し、これを確認のうえ、同年五月一三日、同日付納付通知書をもって原告らに対し本件告知処分を行った。その際、原告らは、右通知書の送達に赴いた函館税務署職員に対し、自分らは訴外会社の社員となったことは一度もないとして右通知書の受領をいったんは拒否したが、同職員から不服なら異議の申立てができると説得されて右通知書の交付を受けた。

(五)  原告らは、同年六月四日、被告に対し国税通則法一一五条に基づき本件告知処分に対する異議の申立てをしたが、被告は、同年九月一日、原告らが訴外会社の租税債務成立当時の社員であったことは同社の商業登記簿の記載から明らかであるとして原告らの異議をいずれも棄却する旨の決定をなし、右異議決定書は同月三日原告らに送達された。これに対し、原告らは、法定期間内に国税不服審判所長に対する審査請求を行わなかった。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

右事実によれば、訴外会社の商業登記簿上、川原一郎こと原告一朗及び川原孝こと原告コウが、同社の設立当時である昭和三〇年一〇月一八日社員となった旨登記され、昭和五四年八月一五日退社登記がなされるまで社員として記載されていたことは明らかであるが、右設立当時の登記は、高屋文吉が原告らに無断でしたものであり、原告らは事後において同社の社員になることを承諾したこともなく、したがって、原告らは訴外会社の設立当時から本件告知処分当時まで同社の社員としての地位を有したことがなかったものと推認される。

なお、前記5(二)で認定したとおり、高屋慶子は、昭和五四年三月二二日、函館税務署国税徴収官から事情聴取を受けた際、原告らが訴外会社の社員である旨述べているのであるが、右陳述は、原告らが、訴外会社の商業登記簿上社員とされていることを述べたにとどまり、実質的に社員の身分を有しているかどうかまで意識してなされたものでないと解する余地があるので、右陳述のあったことは、右推認をする妨げとはならない。とすると、本件告知処分には、原告らを訴外会社の法人税債務成立当時の社員であると誤認してなしたという瑕疵が存することは明らかである。

三  ところで、被告は、仮に原告らが訴外会社の社員ではなかったとしても、不実な社員登記を是正することなく放置していた原告らは、商法一四条の類推適用により、善意の第三者である被告に対して右社員登記の不実なることをもって対抗しえないものであると主張する。

しかしながら、商法一四条は、不実の登記を信頼して私的取引に入った第三者を保護するため、故意または過失によって不実の登記を現出させた登記申請権者自身即ち商人自身にいわゆる禁反言または外観法理に基づいて右私的取引についての責任を負わせようとするものであるから、およそ私的取引とはいえない本件告知処分のような課税処分につき、登記申請権者自身ともいえない原告に責任を負わせるべく同条を類推適用する余地はないものといわねばならない。

よって、この点に関する被告の主張は理由がないというべきである。

四  そこでさらに検討するに、一般に、課税処分が法定の処分要件を欠く場合には、まず法定期間内に法定の行政上の不服申立てをし、これを前置した後更に法定期間内に当該処分の取消しを訴求すべきであり、右救済手続を履践しなかったときは、もはや当該処分の内容上の過誤を理由としてその効力を争うことはできないのが原則である。本件において、原告らは、前認定のとおり法定の不服申立期間内に被告に対して異議の申立てをしたが、これが棄却された後に法定の不服申立期間内に国税不服審判所長に対して審査請求をしておらず、右原則によれば、法定の不服申立手続である同所長に対する審査請求及びその裁決という手続を経由しなかった原告らは、もはや本件告知処分の内容上の過誤を理由としてその効力を争うことができなくなったということになる。

しかしながら、課税処分に対する不服申立てについての右の原則が法定の処分要件を欠いた課税処分のすべてに適用されると解すべきではなく、一般に、課税処分が課税庁と被課税者との間のみに存するものであり、処分の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要のないこと等を勘案すれば、当該処分における内容上の過誤が課税要件の根幹についてのそれであって、徴税行政の安定とその円滑な運営を斟酌してもなお、不服申立期間の徒過等による不可争的効果の発生を理由として被課税者に右処分による不利益を甘受させることが、著しく不当と認められるような例外的な事情のある場合には、前記の過誤による瑕疵は、当該処分を当然無効ならしめるものと解するのが相当である(最高裁昭和四八年四月二六日第一小法廷判決民集第二七巻第三号六二九頁参照)。そして、第二次納税義務は、本来の納税義務者の財産に対して滞納処分を執行してもなお徴収すべき税額に不足すると認められる場合に、租税徴収の確保を図るため、本来の納税義務者と同一の納税上の責任を負わせても公平を失しないような特別な関係にある第三者に対して補充的に課される義務であり、合名会社を本来の納税義務者とする国税については、その社員に限り、当該会社と特別な関係にある者として第二次納税義務を負わされているのである(国税徴収法三三条)。ところが、本件告知処分は、合名会社である訴外会社を本来の納税義務者とする国税につき、原告らに第二次納税義務を課するにあたり、同社の社員でない原告らを社員と誤認してなされた点において、まさに課税要件の根幹についての内容上の過誤が存するものというべきである。そこで、原告らが本件告知処分を受けるに至った事情をみるに、まず、被告が原告らを訴外会社の社員であると認定したのは、主として同社の商業登記簿に「川原一郎」及び「川原孝」が社員として登記されていたことにより、これに高屋慶子からの事情聴取の結果等を加えたことによるものであるが、前記のとおり、右社員登記は高屋文吉が原告らに無断でしたものであり、原告らが右記載の現出についていかなる原因を与えたものではない。そして、右のような記載が存在することを知ってからの原告らの対応は前記二4の(一)記載のとおりであり、その後高屋慶子らによって「川原一郎」及び「川原孝」について退社登記手続がとられるに至った経緯は前記二4の(二)記載のとおりであるから、右各事実に照らせば、右退社登記手続がとられたからといって、原告らが訴外会社の表見上の社員であったことを容認したものとすることもできない。さらに、原告らは、前記のとおり、外観上同社の社員であったことに基づいて同社等から特別の利益を受けたことも認められないのであって、以上の諸点に加え、前記二5で認定した諸事情をも彼此勘案すると、本件においては、原告らが課税処分に対する通常の救済制度を経由していないことを理由として、原告らに本件告知処分を甘受させることは著しく不当であると認められる。したがって、前記過誤による瑕疵は、本件告知処分を当然無効ならしめるものと解するのが相当である。

五  よって、原告らの本訴請求は理由があるからいずれもこれを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大澤巖 裁判官 高田泰治 二本松利忠)

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